救命救急『コードブルー』!

救命救急『コードブルー』

8月12日

入院を長くしていると、
患者さんなはわからない、
院内放送がかかります。

『コードブルー』
『コードブルー解除』

この放送の意味がよくわかりませんでした。

これは、院内で緊急の患者がでたので、
関係の医者、看護師さんは大至急集合して下さい。

という意味らしいです。

コードブルー解除は、
なんとかなったので集合しなくてもよいですよ、の意味です。

また、コードイエローは
患者さんがおお暴れしていますので、腕におぼえのある、
医者や看護師さん、警備員さんは大至急集合して下さいの意味

コードブルーは、しょっちゅう
放送でかかっていますが

コードイエローはめったにないそうです。
私も色々な看護師さんに聞いてみました。
すると、むかし患者さんで刃物をふりまわし
大暴れした患者さんが実際にいたそうです。

 私がかかったやっかいなやまいはつい数年前までは、日本の
医療技術ではどうすることもできず、なすすべがなかった。

しかしながら、現在は私が
今いる病院なら助かることが
出来る、日本唯一の認可を
受けています。

ここで手術を受けることに
なるまでまさに奇跡の連続でした。
どの様な奇跡があったか
少しご説明させていただきます。

①交通事故

ことの発端は2011年6月23日
木曜日のことです。

その日は県の大人の空手強化練習だったので車を目的地まで
走らせるていると、

トンネルにさしかかりました。
トンネルの出口付近でいきなり
後ろからついとつされ、

下半身に電流がはしるような
いたみを感じました。
すぐにパトカーを呼んで
事故処理をしていました。

ついとつしてきたのは、
20歳前後の若い娘さんです。

ついとつの後、すぐに私の
怪我をきずかってくれる
優しい娘さんだづため、

物損にしてあげました。

ここで終われば、私のからだを
むしばんできた病気に気が
つかなかったのですがここからまた、私の病気に気がつく奇跡がおこります。
②たまたま看護士さんだった!

  交通事故で私の車に追突してきた娘さんとパトカーの中で事情聴取を受けたあと、パトカーの外にでると、

娘さんのご両親が心配そうにたってらしゃる。私の怪我を心配してくださり、お母さんは
明日にでも精密検査を受けに
病院にいって欲しいと願っていました。

母親の職業は看護師さんだとおしゃっていました。

私が病院にいくと、この交通事故は罪の軽い『物損事故』  から
罪の重い『人身事故』になります。

そうすれば自分の娘さんの罪が重くなるのに、私の体のことを気づかい精密検査を受けて欲しいといってくれました。

一度は、お断りいたしましたが、熱心に言ってくださるので
次の日に精密検査を受ける
決心をしました。

あとで考えると、加害者の母親が熱心に精密検査をすすめてくださらなかったら、この病気に気が付くことはなかったとおもいます。

加害者の母親に感謝m(_ _)m

さー次の日の運命の精密検査で
私はいったいなんと診断されたのでしょう!

ここにも奇跡がありました。

              

  ③病院を大家さんと相談!

いつもは、近所の整形外科に
いって検査するのですが
今回は、大家さんとどこの
病院で検査をすればよいか
相談いたしました。

ここで大家さんが八幡メディカルセンターの名前を思いつく
ことがなければ私が今入院している病院で手術することは
なかったと思います。

大家さんの感に感謝m(_ _)m

今、思えば私が、自分が行く病院をなんでこの時にかぎって
わざわざ相談したのか
まったくわかりません。

私がの人生でも病院を
わざわざ大家さんに相談する
なんてことは一生で一度だけだとおもいます。

まさに奇跡の相談でした。

④松原先生との出会い

交通事故の次の日の朝、
起きようとすると、頭は割れる
ように痛むし、首は痛い、
腰まで激痛がするので

毎日走っていたジョギングは
さすがにお休みにして、
そそくさと、昨日大家さんと
相談した病院にいくことにする。

朝一番で受付をすませたが、
飛びこみで来たので、
ずっとまたされることになる。

11時00分すぎになってようやく
呼ばれるがもっと時間がかかるのでいったん家に帰り待機してくれとのこと。

普段ならここで引き下がり、
すぐにいきつけの病院に
いくがこの日ばかりは
なぜか特別腹もたたず

その支持に従うことにした。

しばらくしてお呼びがかかり
診察に入ると、すぐにレントゲンをとることになりました。

このレントゲンが運命の一枚になる。

この日ご担当してくださった
K木医師は特別異常は無いということで、本日はCTとMRIの予約だけしてかえることになった。

しかしCTとMRIは予約でいっぱいで二週間先の予約と
なってしまいました。

とりあえず、病院にきてしまったので交通事故を
物損事故から人身事故に
変更しなければいけないので

警察署に向かいました。
車を運転中に何度も何度も
電話がかかってきましたが
危ないのでとりませんでした。
あまりにもその電話がひつこく
かかってくるので、
車を安全な場所に移動して
電話をとってみると、

看護士長さんがあわてて
すぐに病院までもどってくれ
というないようでした。

なぜかわかりませんが
このとき、私の身に大変な
ことが起きているということを
感じました。

本日、うかがった八幡メディカルセンターにいってみると、
2週間先に予約してあった、
CTやMRIに案内され
精密検査をうけました。

午後からは松原先生という
先生が担当されていました。

あとから聞いた話では
つい一ヶ月ほど前にボストンから日本にきたばかりで
私が手術した病気には
相当専門知識をもっていると
いうことでした。

その松原先生が偶然にも
今私が入院している7階に
ご勤務されており、たまたま
外来で八幡メディカルセンターにきていらしゃってたまたま、

わたしの悪いところに気がついてくださった。という奇跡的
出会いでした。

あとでばったり、今入院している7Fの廊下でお会いすると、
整形外科医として、このような
偶然で私のような難病を発見できるのは、

医師を長くやっていても
一生で一度あるかないかの
奇跡的発見だ!とおしゃっていました。

発見してくださった松原先生に
感謝m(_ _)m

さて、早くも奇跡が4つも連続して続き、交通事故があってから
わずかたった2日間の出来ごとでした。

レントゲンに白い影が見つかり、看護士さんも私の顔を
しみじみみつめ、
(まだお若いのに・・・)
といいたげな目で私を
みつめています。

・命を救った5つの奇跡⑤

この時、さすがの私もかんねんいたしました。
診察室にいる目の前の医者は少し声のトーンが高く、いささか興奮ぎみで話を始める。

すぐに大きい病院で精密検査を
うけて欲しいとのこと。

また、その検査の結果がどうであれ、大手術は避けられないということでした。

私は狭い診察室の天井をみつめたあと、

左に目をやると、看護士さんの
表情はかたく、そのリアクションでもかなり重傷な病気だと
さっしがつきました。

土、日曜は大きい病院はお休みなので、週あけの月曜日に早速いってほしいとのこと。

そこでこの分野の日本のエース村上先生に紹介状を書いていただきました。

この村上先生こそが、
後に私の命を救ってくれること
になるとは、この時想像も
つかなかったです。

神の手をもつ、村上先生をご紹介いただきました、松原先生に感謝m(_ _)m

しかしながらこの時の
正直な私の胸のうちは、

(あ~、これで私の自由はなくなるのだなぁ~。
大きな病院にいったら最後、
すぐに入院を進められて、
検査づけの毎日が始まり、
私の意思に関係なく、
手術の日が決定するに違いない。)

今は金曜日の夜なので、
私が自由に出来る時間は
あと2日間です。

その当時の私にとっては
余命2日間と宣告されたような
気分になり、

あと2日間どのようにすごそうか
真剣に考えました。


6時00分
起床
ぐっりねることが出来る。
感謝m(_ _)m

8時00分
朝食
・ご飯
・完熟卵
・ほうれん草
・味噌汁
・ヨーグルトドリンク
・味付けのり
完食!感謝m(_ _)m

9時30分
リハビリ
・立つ練習、まだふらふらする
・歩く練習、
よちよち歩きで5m
・バイク10分
くたくたに疲れる。

12時00分
昼食
・ご飯    
・魚の塩焼き     
・八宝菜
・大根おろし
・オレンジ
・ニコニコのり

13時30分
来客、感謝m(_ _)m

14時00分
担当医師のF先生が様子を
見にきてくださる。感謝m(_ _)m

15時00分
Y叔母さんがお手製の
梅干しを持ってきてくださる。
この梅干しは市販の
ものと違いとても元気がでる
感謝m(_ _)m。

18時00分
夕食
・ご飯
・お手製の梅干し
・ニコニコのり
・鳥からあげ
・三色巻
・とろろ芋
・グループフルーツ
完食!感謝m(_ _)m。
  

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