私の命を救った5つの奇跡❺

命を救った5つの奇跡❺

8月11日

~昨日までのあらすじ~
   6月24日(金)17時30分

  レントゲンに白い影が見つかり、看護士さんも私の顔を
しみじみみつめ、
(まだお若いのに・・・)
といいたげな目で私を
みつめています。

この時、さすがの私もかんねんいたしました。
目の前の医者は少し声のトーンが高く、いささか興奮ぎみで話を始める。

すぐに大きい病院で精密検査を
うけて欲しいとのこと。

左に目をやると、看護士さんの
表情はかたく、そのリアクションでもかなり重傷な病気だと
さっしがつく・・・
  
命を救った5つの奇跡①

①交通事故にあったこと
②たまたま事故をおこした運転手の母親が看護士さんだったこと
③病院をおおやさんと相談したこと
④松原先生との出会いのこと
⑤執刀医村上先生との偶然の出会いと先端医療のこと

私がかかったやっかいなやまいはつい数年前までは、
日本の医療技術ではどうすることもできず、
なすすべがなかったとお聞きしました。

しかしながら、現在は私が
今いる病院なら助かることが
出来る、日本唯一の認可を
受けています。

ここで手術を受けることに
なるまでまさに奇跡の連続でした。
どの様な奇跡が続いて私が助かることになったのか、
本日は少し詳細にご説明させていただきます。

①交通事故

ことの発端は2011年6月23日
木曜日のことです。

その日は県の大人の空手強化練習だったので車を目的地まで
走らせるていました。

トンネルにさしかかりました。
トンネルの出口付近でいきなり
後ろからついとつされ、

下半身に電流がはしるような
いたみを感じました。
すぐにパトカーを呼んで
事故処理をしていました。

ついとつしてきたのは、
20歳前後の若い娘さんです。

ついとつの後、すぐに私の
怪我をきずかってくれる
優しい娘さんだづため、

人身事故ではなく物損事故にしてあげました。

ここで終われば、私のからだを
むしばんできた病気に気が
つかなかったのですが

ここからまた、私の病気に
気がつく奇跡がおこります。

❷たまたま看護士さんだった!

交通事故で私の車に追突してきた娘さんとパトカーの中で事情聴取を受けたあと、パトカーの外にでると、

娘さんのご両親が心配そうにたってらしゃる。私の怪我を心配してくださり、お母さんは
明日にでも精密検査を受けに
病院にいって欲しいと願っていました。

母親の職業は看護師さんだとおしゃっていました。

私が病院にいくと、この交通事故は罪の軽い『物損事故』 から
罪の重い『人身事故』になります。

そうすれば自分の娘さんの罪が重くなるのに、私の体のことを気づかい精密検査を受けて欲しいといってくれました。

一度は、お断りいたしましたが、熱心に言ってくださるので
次の日に精密検査を受ける
決心をしました。

あとで考えると、加害者の母親が熱心に精密検査をすすめてくださらなかったら、この病気に気が付くことはなかったとおもいます。

加害者の母親に感謝m(_ _)m

さー次の日の運命の精密検査で
私はいったいなんと診断されたのでしょう!

ここにも奇跡がありました。
❸病院を大家さんと相談!

いつもは、近所の整形外科に
いって検査するのですが
今回は、私の道場のおおやさんとどこの
病院で検査をすればよいか
相談いたしました。

ここでおおやさんが八幡メディカルセンターの名前を思いつく
ことがなければ私が現在入院している病院で手術することは
なかったと思います。

おおやさんの感に感謝m(_ _)m

今、思えば私が、自分が行く病院をなんでこの時にかぎって
わざわざ相談したのか
まったくわかりません。

私がの人生でも病院を
わざわざ大家さんに相談する
なんてことは一生で一度だけだとおもいます。

まさに奇跡の相談でした。
❹松原先生との出会い

交通事故の次の日の朝、
起きようとすると、頭は割れる
ように痛むし、首は痛い、
腰まで激痛がするので

毎日走っていたジョギングは
さすがにお休みにして、
そそくさと、昨日大家さんと
相談した病院にいくことにする。

朝一番で受付をすませたが、
飛びこみで来たので、
ずっとまたされることになる。

11時00分すぎになってようやく
呼ばれるがもっと時間がかかるのでいったん家に帰り待機してくれとのこと。

普段ならここで引き下がり、
すぐにいきつけの病院に
いくがこの日ばかりは
なぜか特別腹もたたず

その支持に従うことにした。

しばらくしてお呼びがかかり
診察に入ると、すぐにレントゲンをとることになりました。

このレントゲンが運命の一枚になる。

この日ご担当してくださった
K木医師は特別異常は無いということで、本日はCTとMRIの予約だけしてかえることになった。

しかしCTとMRIは予約でいっぱいで二週間先の予約と
なってしまいました。

とりあえず、病院にきてしまったので交通事故を
物損事故から人身事故に
変更しなければいけないので

警察署に向かいました。
車を運転中に何度も何度も
電話がかかってきましたが
危ないのでとりませんでした。
あまりにもその電話がひつこく
かかってくるので、
車を安全な場所に移動して
電話をとってみると、

看護士長さんがあわてて
すぐに病院までもどってくれ
というないようでした。

なぜかわかりませんが
このとき、私の身に大変な
ことが起きているということを
感じました。

本日、うかがった八幡メディカルセンターにいってみると、
2週間先に予約してあった、
CTやMRIに案内され
精密検査をうけました。

午後からは松原先生という
先生が担当されていました。

あとから聞いた話では
つい一ヶ月ほど前にボストンから日本にきたばかりで
私が手術した病気には
相当専門知識をもっていると
いうことでした。

その松原先生が偶然にも
今私が入院している7階に
ご勤務されており、たまたま
外来で八幡メディカルセンターにきていらしゃってたまたま、

わたしの悪いところに気がついてくださった。という奇跡的
出会いでした。

あとでばったり、今入院している7Fの廊下でお会いすると、
整形外科医として、このような
偶然で私のような難病を発見できるのは、

医師を長くやっていても
一生で一度あるかないかの
奇跡的発見だ!とおしゃっていました。

発見してくださった松原先生に
感謝m(_ _)m

さて、早くも奇跡が4つも連続して続き、交通事故があってから
わずかたった2日間の出来ごとでした。

レントゲンに白い影が見つかり、看護士さんも私の顔を
しみじみみつめ、
(まだお若いのに・・・)
といいたげな目で私を
みつめています。

・命を救った5つの奇跡❺

この時、さすがの私も観念いたしました。
診察室にいる目の前の医者は少し声のトーンが高く
、いささか興奮ぎみで話を始める。

すぐに大きい病院で精密検査を
うけて欲しいとのこと。

また、その検査の結果がどうであれ、
私は大手術は避けられないということでした。

私は狭い診察室の天井を見つめた後、

私は左に目をやると、看護士さんの表情はかたく、
その看護師さんのリアクションでもかなり重傷な病気だと
さっしがつきました。

土、日曜は大きい病院はお休みなので、
週あけの月曜日に早速いってほしいとのこと。

そこでこの分野の日本のエース村上先生に紹介状を書いていただきました。

この村上先生こそが、
後に私の命を救ってくれること
になるとは、この時想像も
つかなかったです。

神の手をもつ、M上先生をご紹介いただきました、
M原先生に感謝m(_ _)m

しかしながらこの時の
正直な私の胸のうちは、

(あ~、これで私の自由はなくなるのだなぁ~。
大きな病院にいったら最後、
すぐに入院を進められて、
検査づけの毎日が始まり、
私の意思に関係なく、
手術の日が決定するに違いない。)

今は金曜日の夜なので、
私が自由に出来る時間は
あと2日間です。

その当時の私にとっては
余命2日間と宣告されたような
気分になり、

あと2日間どのようにすごそうか
真剣に考えました。

もし、これが貴殿だとうしますか?

もし、貴殿が余命あと2日と宣告されたら・・

残された2日間どうやってすごされますか?
ーつづくー

 

6時00分
起床
柔らかめの便がでる。
昨日からお腹が少し壊れている。

8時00分
朝食
・ご飯
・納豆
・ほうれん草
・ふりかけ
・飲むヨーグルト
・味噌汁    玉ねぎ、とろろ
・牛乳

9時00分
検温36.8度
酸素96

9時30分
リハビリ

12時00分
昼食、完食!感謝m(_ _)m

13時30分
馳事務所の秘書のかたがお見舞いにきてくださる。
感謝m(_ _)m

17時00分
せいとパパが次回の試合の
打ち合わせにきてくださる。
感謝m(_ _)m

17時30分
師長さんが様子を見にきてくださる。感謝m( _)m。

18時00分
夕食完食!感謝m(_ _)m。

Follow me!