私の命を救った5つの奇跡❹

命を救った5つの奇跡①

①交通事故にあったこと
②たまたま事故をおこした運転手の母親が看護士さんだったこと
③病院をおおやさんと相談したこと
④松原先生との出会いのこと
⑤執刀医村上先生との偶然の出会いと先端医療のこと

私がかかったやっかいなやまいはつい数年前までは、
日本の医療技術ではどうすることもできず、
なすすべがなかったとお聞きしました。

しかしながら、現在は私が
今いる病院なら助かることが
出来る、日本唯一の認可を
受けています。

ここで手術を受けることに
なるまでまさに奇跡の連続でした。
どの様な奇跡が続いて私が助かることになったのか、
本日は少し詳細にご説明させていただきます。

①交通事故

ことの発端は2011年6月23日
木曜日のことです。

その日は県の大人の空手強化練習だったので車を目的地まで
走らせるていました。

トンネルにさしかかりました。
トンネルの出口付近でいきなり
後ろからついとつされ、

下半身に電流がはしるような
いたみを感じました。
すぐにパトカーを呼んで
事故処理をしていました。

ついとつしてきたのは、
20歳前後の若い娘さんです。

ついとつの後、すぐに私の
怪我をきずかってくれる
優しい娘さんだづため、

人身事故ではなく物損事故にしてあげました。

ここで終われば、私のからだを
むしばんできた病気に気が
つかなかったのですが

ここからまた、私の病気に
気がつく奇跡がおこります。

❷たまたま看護士さんだった!

交通事故で私の車に追突してきた娘さんとパトカーの中で事情聴取を受けたあと、パトカーの外にでると、

娘さんのご両親が心配そうにたってらしゃる。私の怪我を心配してくださり、お母さんは
明日にでも精密検査を受けに
病院にいって欲しいと願っていました。

母親の職業は看護師さんだとおしゃっていました。

私が病院にいくと、この交通事故は罪の軽い『物損事故』 から
罪の重い『人身事故』になります。

そうすれば自分の娘さんの罪が重くなるのに、私の体のことを気づかい精密検査を受けて欲しいといってくれました。

一度は、お断りいたしましたが、熱心に言ってくださるので
次の日に精密検査を受ける
決心をしました。

あとで考えると、加害者の母親が熱心に精密検査をすすめてくださらなかったら、この病気に気が付くことはなかったとおもいます。

加害者の母親に感謝m(_ _)m

さー次の日の運命の精密検査で
私はいったいなんと診断されたのでしょう!

ここにも奇跡がありました。
❸病院を大家さんと相談!

いつもは、近所の整形外科に
いって検査するのですが
今回は、私の道場のおおやさんとどこの
病院で検査をすればよいか
相談いたしました。

ここでおおやさんが八幡メディカルセンターの名前を思いつく
ことがなければ私が現在入院している病院で手術することは
なかったと思います。

おおやさんの感に感謝m(_ _)m

今、思えば私が、自分が行く病院をなんでこの時にかぎって
わざわざ相談したのか
まったくわかりません。

私がの人生でも病院を
わざわざ大家さんに相談する
なんてことは一生で一度だけだとおもいます。

まさに奇跡の相談でした。
❹松原先生との出会い

交通事故の次の日の朝、
起きようとすると、頭は割れる
ように痛むし、首は痛い、
腰まで激痛がするので

毎日走っていたジョギングは
さすがにお休みにして、
そそくさと、昨日大家さんと
相談した病院にいくことにする。

朝一番で受付をすませたが、
飛びこみで来たので、
ずっとまたされることになる。

11時00分すぎになってようやく
呼ばれるがもっと時間がかかるのでいったん家に帰り待機してくれとのこと。

普段ならここで引き下がり、
すぐにいきつけの病院に
いくがこの日ばかりは
なぜか特別腹もたたず

その支持に従うことにした。

しばらくしてお呼びがかかり
診察に入ると、すぐにレントゲンをとることになりました。

このレントゲンが運命の一枚になる。

この日ご担当してくださった
K木医師は特別異常は無いということで、本日はCTとMRIの予約だけしてかえることになった。

しかしCTとMRIは予約でいっぱいで二週間先の予約と
なってしまいました。

とりあえず、病院にきてしまったので交通事故を
物損事故から人身事故に
変更しなければいけないので

警察署に向かいました。
車を運転中に何度も何度も
電話がかかってきましたが
危ないのでとりませんでした。
あまりにもその電話がひつこく
かかってくるので、
車を安全な場所に移動して
電話をとってみると、

看護士長さんがあわてて
すぐに病院までもどってくれ
というないようでした。

なぜかわかりませんが
このとき、私の身に大変な
ことが起きているということを
感じました。

本日、うかがった八幡メディカルセンターにいってみると、
2週間先に予約してあった、
CTやMRIに案内され
精密検査をうけました。

午後からは松原先生という
先生が担当されていました。

あとから聞いた話では
つい一ヶ月ほど前にボストンから日本にきたばかりで
私が手術した病気には
相当専門知識をもっていると
いうことでした。

その松原先生が偶然にも
今私が入院している7階に
ご勤務されており、たまたま
外来で八幡メディカルセンターにきていらしゃってたまたま、

わたしの悪いところに気がついてくださった。という奇跡的
出会いでした。

あとでばったり、今入院している7Fの廊下でお会いすると、
整形外科医として、このような
偶然で私のような難病を発見できるのは、

医師を長くやっていても
一生で一度あるかないかの
奇跡的発見だ!とおしゃっていました。

発見してくださった松原先生に
感謝m(_ _)m

さて、早くも奇跡が4つも連続して続き、交通事故があってから
わずかたった2日間の出来ごとでした。

レントゲンに白い影が見つかり、看護士さんも私の顔を
しみじみみつめ、
(まだお若いのに・・・)
といいたげな目で私を
みつめています。

いよいよクライマックス!
なぜ、この時看護士さんたちは
しみじみした目で私を見つめて
いたのか?

とうとう全貌があきらかになる

いったいどうなってしまうのか!

               ❺に続く!!


6時00分
起床、T看護師さんのやさしい
徹夜の看護のお陰でぐっすり
寝ることができる。感謝!

・採血5本
採血はとても痛いと思っていましたが、T看護師さんのプロ級の技でちっともいたくなく、
5本採血することができました。
感謝!

8時00分
最後の点滴も全ておわり、
私の体からすべての針や
くだがとれる。

手術後、2回目の経験なのですが、まだ私の体の中に細菌が
潜んでいる可能性も高く、

いつ高熱が出て、またたおれる
かもしれないので、油断は
禁物。
10時00分
リハビリ。
・立つ練習
・へいそく立ちで立つ練習
・片足で目をつぶって立つ練習
・少しだけ歩く練習
・バイク
高熱が出る前はここで根性を
見せてしゃかりきになって
がんばっていたが、

私の今の最大の敵が
体のどこかに潜んでいる細菌の
可能性が高いということなので

悪い細菌に対して、抵抗力を
残しておくため、体力は
全部使わないで半分残す
ように工夫してみました(^ ^)

11時30分

シャワールームでこけそうな
環境にあったため、早目に
切り上げベッドの上で体力を
蓄える。

13時00分
少し遅めの昼食。
完食!

15時00分
看護士長さんが心配をして
部屋にきてくださる。
この病院のナースさんは
みなさんとても素晴らしいと
伝える。

しばし、医療の現状について
雑談する。

2年前まで現場にいたことを
お聞きし、すぐに注射を
痛くないようにうってくれ

とおたずねしてみると、
望むところよ、とばかり
『注射はとくいですよ(^ ^)』
と師長はおしゃる。

『では、注射を痛くないようにうつコツを教えて下さい。』
と私がたずねると、

ニコニコしながら
『時間をかけて痛くなさそうな
ところを探すのよ(^ ^)』

まだ話は終わらない、

『次の患者さんがたくさん
まっていて、あせりがちになり、すぐに注射をうつところを
決めてしまいがちにになるが、

時間をかけて、左うでがだめなら右腕、したのほうがだめなら
上のほうをじっくりさがすのが
私のコツです!』

なるほど、りにかなっている。
確かに採血で痛い看護士さんは
なにかあせっているような気がする。

さすが百戦錬磨の師長さん
説得力がある。感謝!

17時30分
日勤を終えて仕事時間が終了しているのにK山看護士さんが
私の様子を心配してわざわざ
顔を出して下さる。感謝m(_ _)m

18時00分
夕食
・ご飯
・照り焼きーぎんだら
・キャベツ
・スイカ
・おぼろ昆布汁
完食!感謝m(_ _)m

19時30分
担当医師のF先生が心配して
きてくださる。
このまま順調にいけば、
転院の日も近いとおしゃってくださる。

しかし、相変わらず細菌は
私の体内のどこに潜んでいるか
いまだに発見できず不安が残る。

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