ココロでわかると必ず人は伸びる

『ココロでわかると必ず人は伸びる』
 
~木下晴弘作~
 
灘高をはじめとする超難関校に数多くの生徒を合格に導く木下晴弘氏が書いた本です。
 
『感動が人を動かす』をモットーにしている木下氏は、学力だけではなく人間力も伸ばす指導に私も共感することがたくさんありました。
 
 その本のくだりに作者が一番感動した生徒のエピソードが書かれているので、ここに本の一部を引用しご紹介させていただく。
私もそのくだりを読んで涙した・・。
 
 
 時間のないかたは、私が書いたこの紹介記事だけ読んでもらっても良いと思う。原本の文章をできるだけ引用させていただいたので、多少文章がながいが、わたしもひともじひともじ丁寧に原作者になったつもりで、要約したのでできれは、お茶でも飲みながら、ゆっくり楽しんで欲しい。
 
 
 
 
イメージ 1『涙のS君高校受験秘話』
 
~中略~
 
私が講師になってまだ間もない頃に出会ったS君の話をしたい。
 
中学3年生の夏前途中入塾してきた。授業のときにノートをださない。
宿題を出してもノートにやってこない。
 
 カーッと頭に来て500枚くらいあるコピー用紙のワンカートンをパンッと机に投げ出した。
 
 
『これで文句ないやろ、これに宿題をやってこい』
 
すると『ありがとうございます』と礼をいうのである。
拍子抜けして『なんやろ、こいつ』と思ったが、次の日はコピー用紙にちゃんと書いてやってきた。
 
しばらくして暑くなってきた頃、今度はクラスの生徒がS君を何とかしてくれと訴えてきた。『クサイ』というのである。ずっと同じヨレヨレのTシャツとジーパンを着て、それが匂うという。
 
夏前の保護者面談の際、・・・・お母さんに、ノートを持ってこないこと、同じ服を着て非常に迷惑がかかっていることなどを説明し『お母さん、これは一体どうしたことなんですか』と私は問いただした。
お母さんはポツリポツリと話しだした。
 
夫と死別して経済的に苦しい状況にあるのだという。依頼ずっとお母さんは看護師の仕事をし、女の細腕ひとつで子どもを育ててきた。そう聞いて私は何も言えなくなった。
 
『先生、・・・・・2年間ギリギリの生活を倹約をして、やっと貯めたお金で中途だけど入塾させることができました。だからノートも買えず、迷惑かけて申し訳ありません。息子は先生からコピー用紙をいただいて喜んで使っています。ありがとうございます』
 
 私は謝った。『すみません』と頭を深く下げ、たぶん1分くらいは上げなかったと思う。
S君にも謝った。『ゴメンな、ゴメン、ゴメンやで。俺を許してな。先生は全然知らんかった。けどなお前も人が悪い。言ってくれたらよかったのに。そうか、着るものも大変なのか』。
・・・この塾で勉強するのが夢だったというくらいだから彼はとても熱心だった。
ほかの子は参考書を何種類も買ったりしているが、S君は一冊しか持っていない。
その一冊を徹底的に何回も繰り返して勉強するのである。
 だからだんだん紙がまくれ上がっていき、端が何倍にも厚くなる。本がこんなふうになるなんて私は初めて知った。ついには一枚ずつはがれボロボロになる。それを私がセロテープで補強してあげるとまた喜んで使った。
 
 授業への意欲はすごく、絶対に授業を休まない。たとえ熱が出て体が辛いときでも必ず出席しテストを受けた。毎日夜遅くまで残り、食い下がるように私にしつこく質問をして帰って行く。
 
 そんな生徒には私もがぜん熱くなる。
 
・・・・だんだん成績が上がり、9月終わり頃のテストでは700人中、何とベストテンに入った。必死の努力を知っている私は『よう頑張った、よう頑張った』と、まだ入試でもないのに涙を流してしまった。
 
ただしK学院を確実に狙うには、今までやってきた基本レベルの問題集だけではなく、最高水準問題の参考書を勉強する必要がある。いくら彼のように基本問題で100点をとっても、K学院の入試には歯が立たなないのだ。
 
・・・・・こっそり最高水準問題集を買って渡すことにした。
 
K学院に行くにはこれをやらなアカン。やれるか?』。
 
こう言って手渡したところ、わずか一週間ほどで全部仕上げてきた。それも3回やって
『先生、ここがわかりません』と質問まで用意していた。
 
できる子と言うのは質問自体がとても的確である。
『この問題はここまで考えて、こうしてやってみたけど。どうしても答えが合わない。
ここからここの間にミスがあると思うが、どこが間違っていますか』と聞きに来る。
 
そいでない生徒だと最初から
『先生、わからない、この問題、難しくてできない』
とばく然としている。
 
・・・・~中略~
 
さて、合不の発表は試験当日の翌日の夕方である。・・・・
 
合格者の名前を書いた紙が張り出されていた。・・・・・
 
彼は掲示板の前でうずくまり泣いていた。『やったな、良かったな。これでお前は4月からK学院の生徒やな』。
 
 するとS君は立ち上がり、私に言った。
『先生、僕はK学院にはいきません』。
公立高校のT高校へ行って頑張ると言うのである。T高校は公立の高校としては当時も今もトップの座にある。学校としては素晴しいが私は驚いた。
 
S君は最初からK学院に行けないことがわかっていた。それでも凄まじい頑張りで勉強し、そして合格してみせた。この上なく尊いと思う。その彼にできる範囲で好きなようにさせてやったお母さんも同じである。
 
 私の塾講師生活の中で、さすがにあとにも先にも、K学院高校を滑り止めにして公立高校へ言った生徒はほかに一人もいない。難易度で言えばK学院は灘に匹敵する。東京なら開成クラスである。
 
 
 3年後、、うれしい記事を見つけた。東大と京大の合格者一覧を週刊誌が掲載し、
そのなかにS君の名前を発見したのである。K学院の合格者のとき以来連絡を取り合うことはなかったが、『やったな』と思った。・・・・
 
K学院に行かないと聞いた瞬間、私は本当に驚き、力が抜けた。・・・・
 
強くしっかり彼は生きている。大学合格の記事を見てそれを確認することができた。
 
これ以上のことはない。
 
 
 
 
 
最近、私も空手を指導していて感動することが何度もある。
この本で私が涙したのは、著者である木下晴弘作先生が生徒のご家庭が裕福ではないと聞き、先生が生徒の母親や生徒に謝るシーンである。この本の良いところは、この物語だけではなく、教える方と教わる方の双方のあり方が本全体に記載されている、秋の夜長、是非手にとって読んで欲しい一冊です。
 
              ―中村 仁洋―
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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