アスリートの母は偉大だ!

  

イメージ 1
(写真はロンドンオリンピックで鈴木雄介選手のご両親との写真です。鈴木選手の母上も素晴らしいかたでした)
 
 あの野球の長島茂雄氏もオリンピックの水泳選手もこの市民ランナー川内優輝選手もやっぱり母の存在が大きかった!
 本日、こんな記事がネットのにけいさいされていました。
記事を読むと小さい時に母の並々ならぬ協力があるように
記載されている。
 川内優輝選手の母上の短い記事だけ読んでいると、
とても厳しそうにきさいされていましたが、
愛情があふれていたのではないかと思います。
 
 川内優輝選手の少年時代には、思うように記録がナビない時期もきっとあったと思います。
苦しんであきらめかかった時もあったと思います。
そんなとき、誰でもない母のあたたかい情熱で救われたのだはないかと
思います。
かっぱり母の力は偉大ですね!
 
——————————————————————————— 
男子マラソンは、なぜ市民ランナー川内優輝に勝てないのか
webスポルティーバ 2月10日(日)15時1分配信
 2月3日の別府大分毎日マラソン。世界選手権代表即内定の2時間07分台にこそ届かなかったものの、川内優輝(埼玉県庁)はその力が確かなものであることを、強烈にアピールした。

 他の選考レースとは違い、外国人招待選手の自己記録が2時間10分台と、日本勢に優勝のチャンスが十分あった大会。そのレースを面白くしたのが、ロンドン五輪6位の中本健太郎(安川電機)だった。ペースの変動が大きいながらも、予定の5km15分10秒より若干遅れて進んだレース。28km手前で先頭集団が思うように引っ張ってくれないと判断した中本は迷わず前に出た。

 それに反応したのが川内だった。そこから二人でペースアップして一騎討ちになると、お互いにスパートをかけ合う積極的な戦いが始まった。ともに「日本人同士で牽制し合ってタイムを落とすようなレースはしたくない」という思いがあったからだ。

 その熱い戦いの決着は残り1.6kmのところでついた。

「11年の世界選手権に出たとき、ケニア勢やエチオピア勢が給水を利用してスパートをしていた。自分もそういうことをやってみたいと思った」と語っていた川内はこの大会でそれを実践。給水を取るタイミングに合わせて一気にスパートをかけると、2時間08分15秒で優勝した。突き放された中本も2時間08分35秒でゴールと、久々に内容のあるレースを演じたのだ。

 今回の優勝記録はあの瀬古利彦の記録2分8秒27を抜き、88年ソウル五輪と92年バルセロナ五輪で4位になった中山竹通と並ぶ日本歴代16位だった。日本陸連の酒井勝充強化副委員長も「私たちの常識では判断できない選手。マラソンは気持ちで走ることをみせてくれた」と高く評価し、宗猛長距離・マラソン部長も「久々に見応えのあるレース。日本男子マラソンもまだまだやれると感じることができた」と明るい表情を見せた。

 川内の最大の武器は、最もきつい場面を気持ちで押し切れる強さだ。本人いわく、「小学生の頃は毎日母親に連れられて、公園でタイムトライアルをしていました。しかも最後まで全力で走りきらないと叱られたので、それが今、最後まで全力を出せる要因かもしれませんね」と笑いながら語った。その気持ちの強さに加えて磨きをかけているのが、レース経験と、それぞれのレースで、「常に全力で走り切ろう」という姿勢。

 以前「マラソンというのはレース経験が大事。その点僕の場合は、他の選手より経験が豊富ということが、アドバンテージになる」と話していたが、先述通り、外国勢が給水所を利用して揺さぶりをかけて来る戦法を、すぐに取り入れたところなどは、その証左。五輪代表がかかった昨年2月の東京マラソンで給水ミスに泣くと、アフリカ勢が集団の前に出て確実に給水ボトルを取っているのを参考にして、今回はすべてを成功させるなど、ひとつひとつの経験を積極的に取り入れようとしている。

 さらに、昨年12月2日の福岡国際マラソンで走ると、2週間後の16日に防府読売マラソンで優勝した。年が明けてからは、1月13日に谷川真理ハーフマラソンで優勝すると、1月18日にはエジプト国際マラソンでも優勝。翌日の19日に帰国して、休む間もなく20日には県庁チームの一員として埼玉県駅伝に出場し、1週間後の27日に奥むさし駅伝に出場している。そして中6日で別大マラソンを走るというすさまじいスケジュールをこなした。

 その過酷さを新聞は「化け物」と名づけたが、川内にしてみれば特別無理をしている気はないよう。1泊4日という強行スケジュールで出場したエジプトこそハードだったが、その後の駅伝はまさに、思い描くマラソンに向けてのスピード練習という位置づけでしかなかった。

 実業団の選手たちは週に2~3回のポイント練習をして、その間は軽めの練習で体調などを整えているのが普通だ。だが川内は、通常のポイント練習を水曜日の練習と、土曜日か日曜日のレースで代用している。さらにその間は「実業団の選手と比べたら本当に遅い」と本人が言うジョギングでつなぎながら、うまく疲労を抜いているのだ。

 レースを利用して走力とタフさを身につけようとする取り組みと、時間が限られているからこそ1回1回の練習に集中することで、実業団選手より短い月間走行距離でも結果を出せているのだろう。

 そんな川内の唯一の課題といえるのが、トップ選手になった今、狙ったレースでどう結果を出していくかということだった。2011年の東京マラソン快走で一躍注目されたころ、彼にはまだ背負うものがなかった。

 近年、日本男子マラソンが低迷する理由のひとつとして、期待された実業団選手たちの心の中に「給料をもらって競技をしている以上、走って当たり前と思われる」という重圧や、「自分が何とかしなければ」というような気負いがあった部分もあるだろう。そんな思いが前半の走りを固くさせるうえに、無駄なエネルギーを使わせ、後半失速するという結果につながっていた。

 当時の川内は、それには無縁だったからこその快走とも言えたが、五輪が掛かった2012年の東京マラソンは違った。結果を意識し過ぎたためか、走りには序盤から硬さが見えた。それが中盤からの失速につながったといえる。

 そんな川内だったからこそ、今回の別大での勝利は大きい。最初から優勝と世界選手権を狙った必ず結果を残したいレースでありながら、力みもなくうまく走り、中本とのデッドヒートを制すと、自己新でゴールという結果を残した。これは大きな自信になるはずだ。

 レース後に「いろいろ磨いてきた技術と経験を活かせた。海外のレースも経験してポジティブになれた」と話した川内は、最強の市民ランナーから、“普通に強い日本のトップランナー”のひとりへと脱皮した。

 まだ25歳でこれからが本当に脂が乗ってくる時期。今後、彼が2時間7分台に止まらず、世界でも勝負できる6分台や5分台に向け、どんな挑戦をしていくのか見守りたい。

折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi

 
                       ~webスポルティーバ 2月10日(日)15時1分配信 より粋~
——————————————————————————
 
                            ーつづくー

Follow me!