曽野綾子 さんの「いじめや体罰についての素晴らしい考え方!」

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 本日、いじめ問題で総理の会議に出席できなかった、曽野綾子さんの文章です。
戦争中、私の生まれ故郷「金沢市」に疎開をしていたこともあり、馴染みふかい人です。

 (その彼女が本日、総理にあてた文章で、私の空手の教育方針とよくにているところもありましたので、曽野綾子さんの文章をそのまま用いて、ご紹介させていただきました。)
(その前に総理もこの曽野綾子さんの文章をご推薦しております。まずは、本日の総理のご推薦の文章からどうぞ!)



昨日の教育再生実行会議では、いじめの問題についても議論しました。

昨日出席できなかった曽野綾子さんから、いじめや体罰についての考え方を書面で意見をいただきました。そこには、ただの知識ではなく、自らの経験から学んだ、いじめにどう向き合うかという人生哲学が記されています。皆さんと是非とも共有したいと思い、御紹介させていただきます。御一読いただければ嬉しく思います。-内閣総理大臣ー

曽野綾子さんの「いじめや体罰についての考え方!」

「苛めた、苛められた」という感覚を、この
世から完全になくすことはできませんが、少な
くとも学校という教育的な場において、その弊
害を減らすことは、大切な目的です。

苛めは非常に原始的、かつ、未熟な感情であ

り、もし学校というものが、生まれたままでは
なく、人間性の再構築を目指す場なのだとした
ら、そこでは看過されるべきものではないから
です。

最初に配布されました資料を読みましたが、

私は次の3点をご討議頂きたいと感じました。
第1 は、苛め問題を、制度の改革によって改
変または軽減できると見る姿勢です。

それでは

とうてい根本的な解決には到達できないだろ
う、と思われます。もちろん行政としては、表
面の近いところから手をつければいいのです
が、本質的に問題解決に向かって歩み出すに
は、もっと深い人間性への迫り方が必要です

制度や体制をいくら整えても、苛めという人間

の本質に繋がる問題は解決しません。もっと深
い哲学的な考察と教育によってしか、光を当て
得ない分野だろうと思われます。

第2 は、苛められる側を救うための制度をい

くら作っても、それもまたこの問題の解決には
ならないだろうということです。庇うだけで
は、人間は生きて行かれないのです。弱いもの
を庇うことは必要ですが、同時に、人間は自ら
が強くなる必要があります。城をいくら頑丈に
作っても、自らに敵に対抗する知恵や体力がな
ければ、城だけでは守り切ることはとうてい不
可能です。

第3 に、そもそも人間教育は誰が何によって

行うのか、という根本の点にも触れないと、や
はり解決の道にはいたらないでしょう。私は昔
からこの問題をしばしば考えることがありまし
た。

いささか歪んだ家庭に育ち、戦争中は死の

危険を体験し、中年以後はアフリカなどの貧困
と始終接して来ました。その中で、私はよき環
境からのみではなく、しばしば歪んだ世界から
も多くのものを学びました。教育は自発的な動
機がなければ効果が定着しません。

その点をも

含めて、今まで欠けていた教育の本来の責任者
は誰かという視点にまで到達して、苛め問題の
根を取り除く方向に向かって頂きたいと願って
います

曽野綾子さんのご紹介!

東京出身。幼稚園から聖心女子学院に通う。太平洋戦争中は金沢に疎開していた。

同人誌『ラマンチャ』『新思潮』を経て、山川方夫の紹介で『三田文学』に書いた「遠来の客たち」が芥川賞候補となり23歳で文壇デビュー。占領軍に対する少女の屈託ない視点が新鮮で評判となった。翌年、24歳で『新思潮』同人の三浦朱門と結婚。以後、次々に作品を発表。30代で不眠症、うつ病に苦しむが、これらを克服した。

臼井吉見が曽野や有吉佐和子の活躍を「才女時代」と評したことは有名。文学史的には、遠藤周作、安岡章太郎、吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三、近藤啓太郎、阿川弘之、三浦朱門、小沼丹、島尾敏雄らと共に「第三の新人」に属す。

同時代の女性クリスチャン作家である三浦綾子とともに「W綾子」と称され、混同されることもある。

文化人類学者の三浦太郎は長男で、彼をモデルにして『太郎物語』を執筆した。太郎の妻はエッセイストの三浦暁子。

1995年から2005年まで日本財団会長職を務め、2009年10月からは日本郵政社外取締役に就任。

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