五輪で見せつけた器の大きさ「鈴木雄介」選手
「テグではレース当日に自分の一番のパフォーマンスができるようにピークを持って行くことができた」
その言葉通り、鈴木は最高の状態で臨んだ大一番で、周囲を驚かせるレースを展開した。
大舞台で見せ付けた大胆さ
レースが動き始めたのは、スタートしてから2キロを過ぎた時だった。まだ大きな塊りだった集団から、イタリア人選手が飛び出すと、鈴木と中国人選手もそれについて行った。
「レース序盤のペースが遅くて、気持ち悪いと思っていた時に、前に出る選手がいた。それについて行ったら、自分のペースで気持ちよく歩けたんです」
鈴木がこう振り返ったように、最初の1キロの通過タイムは4分33秒。1キロ4分ペースが目安となる20キロ競歩において、明らかにスローペースだった。
その後、鈴木は4キロ手前で中国人選手を抜いて2位に浮上し、5キロを通過する時点ではトップと並んだ。そして8キロ過ぎ、イタリア人選手のペースが落ちる。気付けば、鈴木の周りにはもう誰もいなかった。
「前半から大胆にレースを進めるのが彼の持ち味ですが、それを世界の舞台で出せるというのはすごいことですよ」
沿道で声援を送っていた同僚の森岡紘一朗は、世界のトップウォーカーたちを引き連れて歩く後輩の姿に驚きを隠せなかった。それは誰もが予想していない展開だった。
10キロ、11キロ、12キロ……。1キロ4分を切るペースで鈴木の独歩は続いた。だが、世界陸上は、彼をそのままゴールさせてくれるほど甘い舞台ではなかった。終盤になると、世界の猛者たちも次々とギアを上げてきた。15キロ付近から鈴木は1人、また1人と追い抜かれ、最終的に8位でフィニッシュした。
「トップを歩くのが10キロ手前くらいで終わっていれば、何とも思わなかったでしょう。でも、それが15キロまで続いた。体も軽かったので、本当に気持ちよく歩けました」
レースを振り返る鈴木の表情は明るかった。また、8位に入賞したことにより、日本陸上競技連盟が定めた「世界陸上で入賞すれば五輪代表内定」という派遣条件をクリア。日本陸上競技界において、ロンドン五輪の内定第1号となった。
http://www.ninomiyasports.com/sc/img/120621suzuki2.jpg だが、その一方で鈴木には大きな課題もつきつけられていた。レース後半の体力不足である。実はこのレースで、鈴木は2度の警告を受けていた。競歩ではコース上に歩型に違反がないかジャッジする審判(ロード種目では主任を含めて9名)がいる。主な反則は、「ベント・ニー」と「ロス・オブ・コンタクト」の2つ。前者は前に振り出した足が地面に接地する際のヒザが曲がってしまう反則。後者は両足が地面から離れた状態になった時の反則、つまり必ず片方の足が地面に触れていなければならないのだ。違反の場合は、注意として黄色いカードを選手に告知され、その後、告知した違反が改善されない場合は赤色のカードを警告として提示される。注意は何度受けてもペナルティは課されないが、警告は3度受けると失格となる。鈴木はレース後半で、「ベント・ニー」を2度警告されたのだ。
「トップを歩いていた時はフォームに問題はありませんでした。違反をとられるとしても、注意がいくつか出される程度だろうなと。12、3キロを過ぎて、少し疲れを感じ始めた時に注意を出されました。そして、15キロを過ぎて足が重くなって動かなくなり、歩型を保とうと粘っていた時に警告を出された。やっぱり、体力が必要だなと思いましたね」
また、このレースで優勝したヴァレリー・ボルチン(ロシア)は、15キロ以降にペースアップして最後は独歩状態でゴールテープを切った。このロシア人選手は北京五輪を制し、世界陸上も2連覇(ベルリン、テグ)中のまさに絶対王者。目標である“世界一”を目指す上で、倒さなければいけない相手だ。鈴木は「明確な目標」として意識するボルチンの強さを「ラスト5キロで圧倒的にスピードを上げられること」と分析する。その意味でも、持久力強化が課題と感じた。
また、ピーキングの重要性も改めて実感した。
「テグでは今の自分の実力でも、うまくピークを合わせられれば、世界の舞台でも入賞できるという手応えを持つことができました。そして、もっと実力を上げていけば、入賞以上も狙えると感じましたね」
幸い、早々に五輪代表に内定したことで、鈴木には五輪本番まで約1年の準備期間が与えられた。
失ったアドバンテージ
テグ大会では、レースまでのトレーニングの出来に納得できない日もあった。その点で「まだまだ出し切れていない大会」と鈴木は語る。「長い準備期間を使って、五輪には今までで最高のパフォーマンスをできる状態に持っていこう」。これが最大のテーマだった。帰国後、ロンドンへ向けてトレーニングする日々が始まった。全日本実業団陸上(9月)と国民体育大会(10月)に出場し、順調に実戦も重ねた。ところが、思わぬアクシデントが彼の身にふりかかった。
国体終了後、左ヒザに痛みが走ったのだ。検査の結果、炎症を起こしていると診断された。それまでもヒザに軽度の腱鞘炎を起こしたり、筋肉疲労に陥ることはあった。ただ、いずれも1カ月もしないうちに痛みは引いていたという。今回も少し時間が経てば、痛みは収まると考えていた。だが、鈴木の考えと反比例するように、左ヒザの痛みは増していった。
「発症してから2、3カ月経っても炎症が治まりませんでした。ひどい時には、休んでいる時さえ痛みを感じました」
さらに検査をした結果、左ヒザの数カ所に炎症が起こっていることが判明した。主な原因は腰や股間節、肩の筋肉が固くなり、体の左右のバランスが崩れていたこと。その微妙なズレが生じたまま歩くことで、左ヒザにダメージを蓄積させていたのだ。
鈴木は治療に専念することを余儀なくされた。競技人生初の長期離脱。不安やもどかしさが募っていった。「五輪に出られるだろうか」という最悪のシナリオも頭の中をよぎったという。
http://www.ninomiyasports.com/sc/img/120621suzuki3.jpg コーチの今村文男も鈴木と同じようにもどかしさを感じていた。世界陸上終了後に考えた五輪までのプランを実行できなくなったからだ。今村は本番を含めて2度、ピークに持っていくことを計画していた。ピーキングの調整期間は長すぎても短すぎてもベストの状態に持っていくのが難しいからである。期間が長ければ、大会前に調子が頂点に達してしまう場合もある。そうなると、調子を保つことが優先事項になり、思いどおりの練習ができない。逆に調整期間が短すぎると、レースまでに疲労が抜けきらない恐れがある。負荷の大きい練習をこなす鍛錬期と、疲労を抜きながらコンディションをあげて行く準備期のバランスを重視しなければならないのだ。
そこで今村が1度目のピークに設定したのは、今年2月の日本選手権男子20キロ競歩。同大会に向けて1度、負荷の大きい練習をこなすことで、身体能力を向上させる。大会後は、約5カ月の準備期間でレースで出た課題の修正を行う。そして下がったコンディションを五輪本番に向けて再度調整し、ピークをロンドンに合わせるプランを描いていた。
「世界陸上で持久力強化が必要なことも明確になりましたし、それも含めて、いろいろなことを試したかったのですが……。結局、早期内定のアドバンテージはなかったですね(苦笑)」
(写真:練習中、今村<左>から栄養補助食を受け取る)
いよいよ五輪イヤーとなった今年に入っても、トレーニングを積めないまま月日が過ぎた。しかし、本番まで約4カ月となった3月下旬頃から徐々に左ヒザの痛みが引き、医師から軽めのウォーキングをする許可がおりた。そして、4月に入ると、最も痛みを感じていた患部の炎症が治まった。
「五輪に向けて調子を上げて行く期間を考えると、本当にギリギリのタイミングだったと思います」
鈴木はこう振り返る。復帰戦を5月19日の東日本実業団陸上の5千メートル競歩に定め、本格的なトレーニングを再開した。
キーワードは“心拍数”
復帰レースに向けて費やすことができた練習期間は約1カ月半と短かった。その中では、30キロなど長距離を歩くことで失われた体力を戻すメニューを主にこなした。迎えた東日本実業団陸上は、実に7カ月ぶりの実戦となった。調子を取り戻し切れていない鈴木にとっては「なかなかキツイレース」だったという。だが、結果は20分7秒41というまずまずのタイムで2位だった。
「調整が遅れているのは重々承知していました。その意味では、上出来という感覚のレースでもありましたね」
目安の1キロ4分ペースに限りなく近い記録に、鈴木の声は明るかった。
また、復帰戦ではロンドンに向けての明確な課題を見つけることができた。「心拍数の高さ」である。普段なら190に満たない程度の心拍数が同レースでは200前後だったのだ。前半から速いペースを保ちたい鈴木にとって、心拍数は低ければ低いほどいい。後半の疲労や足への乳酸蓄積が小さくなり、レース終盤でも粘れるからだ。心拍数の抑制には、長い距離を踏む練習とスピード強化を重視した負荷強度の高い練習もこなさなければならない。それでも本番までに今の高い心拍数が下がらなければ、前半は中盤の集団でレースを進めていき、後半にスパートをかける展開にもっていくつもりだ。
今村は、鈴木が五輪本番では自己ベスト(1時間20分6秒)を更新できるようにトレーニングのプランを計画している。ピークを合わせ、自己ベストを出せれば、テグ同様に入賞ラインに十分届くとの判断だ。しかし、「目標を決めるのはあくまで本人です。選手がメダルを目指すのなら、私は特にケガが再発しないようにケアし、目標達成に近づけるようサポートしていきます」とも語る。
では、本人の気持ちはどうなのか。
「五輪ではメダルを目指したい。そのためには持久力アップはもちろん、さらにスピードアップするための練習にも取り組まなければいけないと考えています」
ケガでアドバンテージを失った鈴木だが、「一番の持ち味」という気持ちの強さは、少しも弱まってはいない。
五輪のレース当日(8月4日)まで、約1カ月。今月17日に参加したイタリアの国際大会では3位に入賞するなど、鈴木は本番に向けて調子を上げている。今できることに懸け、ロンドンで表彰台へ――。一歩、一歩、鈴木は歩み続ける。
(おわり)
>>前編はこちら
http://www.ninomiyasports.com/sc/img/120531suzuki3.jpg<鈴木雄介(すずき・ゆうすけ)プロフィール>
1988年1月2日、石川県生まれ。辰口中、小松高、順大を経て、現在は富士通に所属。専門は「20キロ競歩」。
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(鈴木友多)