女子卓球、あいちゃん、石川選手、裏舞台!

日本にいる時に、テレビで
見ていたシンガポールの
可愛いおばちゃん選手を
ご自分の目でマジかに観戦する
ことができました。
そのひょうきんな仕草は
見るもの全てを魅力します。
対戦相手のポーランドの
片腕がない選手は、
障害を持ちながら、
健康なアスリート達と
互角に戦っている姿は
感動的で、私も勇気を
もらいました。
いつもは、テレビでしか、
お会いする機会がない、
あいちゃんこと、
福原選手の息遣いまで
聞こる、自分のほんの隣まで
きてくれました。
テレビでみるより、
本物は、迫力があり
大きく感じました。
卓球女子の石川選手、
にサインもいただけました。
サバサバしてる感じて
テレビで見ると、
頑張り屋さんでキリッとしていますが
実際、会うとのほほんとした
やわらかい空気が伝わってきました。
団体戦に出場する
平野選手とは直接会い、
『私の次の応援のチケットは、
準決勝しかありませんので
明日の準々決勝を勝って、
私が応援する準決勝も
是非、勝ってください。』

(卓球の日本人が会場で行う応援は、
人数がとても少なく、1回戦の会場は完全にシンガポールやポーランドの応援一色でした。だから日本人が応援したり、励ましの言葉を選手に伝えることは、嬉しいみたいで、まるでコーチの
言葉を聞くように私の一言一言を
よくかむように聞いていました。)

激励の言葉をいって、
私の手を差し伸べると
強く握りかえしてくれ、
がっちり握手をしました。
平野選手とお話をしているうちに、
明日のドイツの準々決勝、
明後日の準決勝で日本チームが
勝つため、
(日本のメダルを取るため)
キープレーヤーになると感じました。
おそらく、
卓球の選手、コーチ陣のかたは
平野選手がキープレーヤーだと
感じていますが、

日本にいる評論家や、
マスコミは、
ロンドンオリンピックで
平野選手がキープレーヤーだと、
気がつくのは、

ずっとずっと、先のことのように
思います。

以上、日本中いや世界中の人が
知らない会場裏の情報でした。

ロンドンオリンピックは、
日本人の応援がほとんどいなくて、
女子卓球の応援も、ほんの数人の

ようではないかと思える感じです。
観戦チケットは、完全前売りせい
で、イギリスでは、ダフ屋も

出ておらず、事前にチケットを
入手しなければ、会場に入ることが
一切できません。

だから、なお日本からの応援が
少なくなっています。

その為、私のあつい応援が嬉しいようで、女子の団体メンバーと写真を
とったり、サインをもらったり、

フレンドリーにしていただきました。
卓球女子団体戦メンバーは、
福原愛、石川、平野と3名、
報道とはの映像とは、ことなり、

普段は本当に普通の女子です。
ほんわか、ほんわかしていす。

では、今日の情報をお伝えいたします。
今大会で確かな成長を見せる石川。シングルスで苦杯をなめた相手へのリベンジなるか

 卓球女子団体がメダルに王手をかけた。ロンドン五輪大会9日目の現地時間4日、卓球女子団体戦の準々決勝が行われ、日本はドイツに3-0で勝利。北京五輪に続く2大会連続でのベスト4進出を決めた。

 この3-0という数字だけを見れば、危なげない快勝と思われるかもしれない。だが、実際にはそうではなかった。
「きょうの試合は正直、どう転ぶか分からない試合でした。ドイツは逆転される可能性のある相手でしたから」
 
 福原愛(ANA)がホッと安堵(あんど)の表情でドイツ戦を振り返った。トップバッターの石川佳純(全農)はフルゲームまでもつれ、1度はマッチポイントまで握られた。バトンを受けた福原も、相手が苦手なカットマンだったのに加え、予想以上のパワーにも押されてしまい、第1ゲームを先制される苦しい展開だった。それでも、両エースはきっちりと勝利。ここに福原、石川の着実な成長が見てとれる。
 女子の村上恭和監督がホクホク顔で語った。
「きょうは良くて3-1の勝利だと思っていた。3-0という結果はよく頑張りましたね。石川はシャドゥ・ウとは五分五分だったし、福原は苦手なカットマン。お互いに嫌なオーダーだったと思うが、2人ともそれを乗り越えましたからね」

「北京五輪の悔しさは忘れていない」と福原愛。4年間の思いをぶつける

~福原・石川の両エース、確かな成長の跡~

 福原はこの日だけでなく、7月30日のシングルス4回戦でもオランダのカッマン、ジエ・リーに勝利。しかもゲームカウント1-3からの大逆転だった。「カットマン相手に挽回して勝ったところなんて見たことない」と話していた村上監督。驚き顔のそんな指揮官をよそに、福原はこの1年間の成果を強調した。
「ここまでの1年間の半分以上、カットの練習をやってきました。ここで成果を出さなきゃ出すところがないって、思い切ってプレーすることができました」

 一方、「飛び抜けて嫌だった」という苦手意識のあるシャドゥ・ウを振り切った石川。最終第5ゲームに9-10と1度はマッチポイントを握られ、文字通りの崖っぷちに追い込まれながらも、そこから「勝つためには打つしかない」と開き直った。この攻めの姿勢が相手に傾いていた勝利の流れを呼び込み、驚異の粘り腰を発揮。2度のジュースの末、13-11で執念の白星を手にした。

「すごい競り合いになりましたが、なんとか粘れて良かった。内容は良くないんですが、勝てたことが自分の成長だと思います」
 初出場ながらシングルスで3位決定戦に進出するなど、今回の五輪で世界的に評価を高めたのはこの石川だろう。ニッポンの若き左のエースが試合ごとに成長していったことは、シングルスでの活躍をたどれば分かるというもの。そして、この日の逆転勝利もまた、石川のロンドンでの成長ぶりを象徴するような試合となった。
石川「思い切って攻めたい」
福原「持っている力を全部発揮して」

 もちろん、石川の視線はすでにこの“次”、現地時間5日に行われる準決勝のシンガポール戦に向いている。銅メダルマッチで敗れたティアンウェイ・フェンへのリベンジチャンスが待っている。
「思い切って向かって行けるかが勝負ですね。シングルスでは悔しい気持ちがすごくあるので、団体戦では思い切って攻めていきたい」

 そして、このメダルがかかった大一番に並々ならぬ意気込みを見せているのが、福原だ。口調は冷静ながらも、その闘志までは隠せない。大会開幕前の会見で福原は「北京でメダル決定戦に負けた時のことは忘れていない」と言った。この言葉を強調するかのように、あらためて4年間の思いを口にした。
「北京で負けてからずっと、ロンドン五輪の準決勝を戦うイメージを持ちながら練習してきました。あとはやるだけですね。自分たちの力を信じて、持っている力を全部発揮して頑張りたいです」

 運命のメダルマッチは2日後の現地時間7日。石川は今の勢いと攻めの姿勢をぶつけるのみ。そして福原は、北京から4年間のすべてをラケットとボールに込めるのみだ。卓球界悲願の五輪メダル、それはもう手の届くところまで来ている。

数々のタイトルを獲得してきた石川。母の支えのがすごいんです。

 小学校1年の時に遊びで始めた卓球。翌年から元国体選手だった母・久美さんの指導を受けながら本格的に練習するも、練習嫌いで試合ばかりしていた卓球少女~石川佳純~

 日本の卓球界で、その早熟な才能は13歳で芽を出した。2007年全日本選手権の一般の部で、強豪をなぎ倒し、準決勝に進出。あの福原愛(ANA)も成し得なかった、史上最年少記録を成し遂げた。その後、同年代では負けなしの強さを発揮し、全国中学校大会2連覇、全日本ジュニア4連覇、インターハイ3連覇と、記録を次々に塗り替え、その底知れぬポテンシャルの大きさを示した。

 そんな石川にとって国際舞台での最初の挫折は、08年3月の世界選手権広州大会。準決勝のシンガポール戦に起用され、完敗。この大会は2戦2敗で終わった。13歳で華々しく全日本の舞台に躍り出た石川にとって悔恨だけが残った大会。15歳の春だった。

 その年開催された北京五輪を観客席から見ていた石川は「『わあ、すごい』と思っていて、正直、自分がその場にいけるとは思わなかった」と回想する。

 翌09年、地元日本での世界選手権(個人戦)では2回戦で世界10位の帖雅娜(香港)から劇的な逆転勝ちを収め、ベスト8に入った。順調に世界への階段を駆け上がりながらも、10年の世界選手権モスクワ大会(団体戦)、同11月のアジア大会(中国)の団体では自分のプレーを発揮できず敗戦。こうして、勝利と敗北を反復しながら成長を続けていった。

~五輪を意識し始めた石川~

卓球経験者の母・久美さん(右)は、五輪を意識するようになってから遠征に帯同した。
 10年の世界選手権の後、「今のままでは上の二人(福原、平野早矢香=ミキハウス)に追いつかない。五輪に出られない」と感じて、「自分を変えた」石川。それまで「天才型」と言われており「練習嫌い」だったが、五輪に出たいという一心で、練習量を増やし、打ち方を変えた。と同時に、世界各地で行われるプロツアーやジュニアサーキットにも積極的に参戦していった。ツアー中でも、調整練習ではなく、実力を上げるための練習を繰り返す日々。時には、40度を超す暑さの練習場で何時間もボールを打つこともあった。

 五輪代表を意識するようになったそのころから、母・久美さんが遠征にも帯同するようになった。当時、石川は「心強いですね。技術的な指導もしてもらう。注意は受けますけど『コラー!』と怒られることはない」と笑って答えている。
 一方、「親子だからこそ良い部分と悪い部分があると思う。悪い部分は、本人が甘える部分。良い部分は、精神的につらい時にそれを聞いてあげたり、優しく接することで本人のつらさを和らげることができる点」と久美さん。

 そして石川は、「そのころは、『勝ちたい』『五輪に出たい』という一念だけだった。もちろん、ジュニアサーキットに出れば、格下相手にランキングが下がっていくリスクもあるけど、挑戦しなければいけない。結果として、挑戦したからこそ五輪の出場権獲得につながった。負けそうになったことは何回もあったけど、本当に良い経験になり、勉強になった」と当時を振り返る。

 報道であるように、
日本女子卓球団体戦は、
準決勝で北京オリンピック
銀メダリストのシンガポールを
下しいよいよ決勝戦で

宿敵中国との対戦です。
ーつづくー

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