樋渡啓祐Facebookのまちの創設者!!武雄市をヤフーブログでシュアしてみました!
山野金沢市長と同じだけすごい方がいたので、シュアしてみました!
私の親友の山野金沢市長と同じだけすごい人を発見!嬉しくなって思わずヤフーブログでシュア!
ー中村 仁洋ー
Facebookのまち、武雄市
作成: Facebookストーリー 日時: 2012年12月18日 9:30 ·
市長とハイテク活用で知られる武雄市は、どのようにして市役所をつながりの源に変えたのでしょうか。
役所というのは、世界中どこへ行ってもそれほど変わりません。書類を小脇に抱えた人で半分埋まった待合室、少しいらいらしながらその人々を列に並ばせる係員、その人々を青白い光で煌々と照らす蛍光灯の光。
武雄市の市役所も見た目は他と同様ですが、その中で行われている行政はもっと多彩です。最上階の3階へと上がり、子豚のぬいぐるみのところを左へ曲がると、「いのしし課」があります。ここは、町に被害をもたらす凶暴なイノシシを食料に変え、数を減らすことに取り組んでいる部署です。イノシシはおいしい食べ物となり、農家では凶暴なイノシシに出くわす心配が減ります。普通ではない?確かにそうかもしれません。しかし効果的ではあります。
イノシシがいるということは、日本での武雄市の位置づけのヒントになるかもしれません。日本という国の超都会的な基準からすれば、武雄は周りに何もない田舎町です。日本の南、九州の佐賀県にある武雄市の人口は5万人余で、福岡や長崎といいった近隣の都市から見れば小さな町です。「(東京で)講演会を開いたとき、聴衆の中で武雄を知っている人は1人もいませんでした」と、6年にわたり武雄市長を務める樋渡啓祐氏は振り返ります。「聞いたことがあるような様子の人がいても、その人は結局、武雄市と似た名前のカンボジアの地名とを混同していただけでした」
樋渡市長にとって、世の中に知られていないことと比較的都会から離れていることは実験のチャンスでした。そこで、市長に就任するやいなや、外から見えるところから実験を始めました。いのしし課はそのプロジェクトの一環です。市立病院の民営化もその1つで、これにより樋渡市長はリコール投票にまで追い込まれましたが、なんとか乗り切りました。短期間ながら「佐賀のがばいばあちゃん課」も設置され、フジテレビの人気ドラマのロケハンクルーに精力的な営業を行い、武雄市に撮影を誘致しました。
しかし樋渡市長のもっとも有名な実験となったのは、新しいイメージで武雄市を発信することでした。それが町ぐるみのベンチャー企業のようなものに発展し、それによって数多くの他の市長が会談や年に一度の会議のため武雄市を訪れることになったのです。2011年8月に樋渡市長が市の公式ウェブサイトを閉鎖し、Facebookページを採用した後、武雄市は「Facebookのまち」を宣言しました。そして市長は、武雄市民との対話をさらに促進し、さまざまな市の構想に関する最新情報を共有するため、すべての市民にFacebookアカウントを作成するように要請しました。
「一部の住民からは猛烈な反発がありました。『いったいこれは何だ?』と聞かれましたよ」と樋渡市長は笑います。「しかし、何かに対して反対意見が多いほど、成功のチャンスは大きいのです。そうでしょう?」
このように物事を動かし、しかも迅速に行うことができるというのは、市長であることの楽しさの一部であると樋渡市長は言います。高校時代に市長のスピーチを聞いて以来、市長になりたいと思っていた樋渡市長は、その職に就くと「決めたら一直線」だったと言います。しかし、東京の総務庁そして沖縄の地方行政と渡り歩いた樋渡市長は、官僚政治に辟易していました。そこでは、Facebookプロジェクトのようなことは(少なくとも当時はまだ)不可能でした。
「規模が大きすぎて、意思決定に時間がかかりすぎるのです」と樋渡市長は言います。「今の世の中では、決定に時間がかかりすぎることは致命的です」
今のところ、市のFacebookページは成功しているようです。2万人以上の人がページに「いいね!」して、最新情報を見ています。投稿は武雄市のフェイスブック・シティ課から発信されます。フェイスブック・シティ課はライターやカメラマンで組織されたチームで、秋の紅葉から休日のごみ収集の休みまで、ありとあらゆる情報を記録します。樋渡市長も密接に関わり、このページのほぼすべての投稿に市長からの「いいね!」がついています。
実験的なことをするという風潮は市役所の職員にも広がり、多くのメンバーがFacebookというアイデアにすぐ興味を持ちました。最初に着手したプログラムのひとつが、「F&B良品TAKEO」という、武雄市の通販専門のFacebookページです。日本は商品の産地に特にこだわるため、特定のものについてある地域が他の地域よりも有名なことがよくあります。そこで、F&B良品のページでは、武雄氏の特産品にウェイトを置いています。たとえば、陶器やレモングラスなどが売れ筋品です。
この取り組みの先頭に立つのが、近くの鉄鋼会社の営業部から樋渡市長が引き抜いた古賀敬弘氏です。古賀氏によると、市長からは「自分が面白いと思うものを選べ」としか指示されなかったそうです。売りにしたい製品を探すため、古賀氏はサミットを主催して、地元の商店主を招いて商品を見せてもらい、参加した50軒の中から「F&B良品」ページに掲載する30軒を選びました。
この取り組みが広く知られるようになったことで、古賀氏は事業を事実上フランチャイズ化し、他の都市も自分の地元の商品を売る場を持ち、運営できるようにしました。日本にある1700の自治体のうち60もの自治体が、今年の末までに「F&B良品」ページを持つ予定であると古賀氏は語ります。そして1つ都市がこのプログラムを導入するたびに、武雄市に手数料が入ります。これまでにはなかった収入源であり、樋渡市長が市長の座に就いたときに直面した「借金地獄」(市長談)から抜け出すために少しですが貢献しています。
市役所の玄関には、これまで武雄市に視察団を送り込んだ都市の名前を記した大きな垂れ幕で飾られた小さなコーナーがあります。Facebookプロジェクトによって日本中から獲得した関心は、何よりも市長を元気付けています。「いまや武雄市を知らない者はいない」のです。
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