水泳松田選手の感動の秘話!

  <五輪競泳>故郷の力で銅 松田、引を乗り越る!
 男子200メートルフライで3位になり、悔しそうな表情の松田=ロンドンの水泳センターで2012年7月31日、競技生活最大のピンチをはね返し、再び表彰台へ登った。「一時期はここに戻ってくることさえ想像できなかった」。ロンドン五輪男子200メートルバタフライで再び銅メダルを手にした松田丈志選手(28)は、北京五輪以降4年間の険しい道のりに思いをはせた。
 レース直後、松田選手は着順を確認し、硬い表情で電光掲示板を見詰めた。すぐに表情を和らげスタンドの歓声に右手を挙げて応えた。金メダルを逃した悔しさは胸にしまい込み、報道陣に「みなさんの支援のおかげ」と感謝の言葉を重ねた。

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 「僕には最後の機会かもしれない。どうか次のオリンピックに行かせてください」

 宮崎県延岡市の有力企業「清本鉄工」の清本英男社長(73)は、その時の松田選手の真剣なまなざしを今も忘れられない。10年5月、二人三脚でロンドン五輪を目指すコーチの久世由美子さん(65)と一緒に訪ねてきた。清本さんは腹を固めた。「金はどれほどいっとね(必要かね)?」

 09年末に前のスポンサー企業との契約が切れた松田選手は、久世さんと共に600社に支援を頼む手紙を出したが、いい返事はなかった。若い頃から週120キロ泳いできた強じんなアスリートから弱気な言葉も出た。「やめるタイミングかもしれない」。万策尽き、故郷・延岡の同社を訪ねてきた。清本さんの呼びかけで宮崎県内12社が支援を決め、別に大口スポンサーも見つかった。「世界のてっぺんを目指す地元の子を応援し、我々も元気になりたい」と清本さんは言う。

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 松田選手は4歳から延岡の「東海(とうみ)スイミングクラブ(SC)」に通い、久世さんに見いだされた。東海SCは中学校の屋外プールを借り、雨風をしのぐため父母らにカンパを募ってビニールハウスで覆った。松田選手のハングリー精神の象徴だ。

 今もビニールハウスで覆われるそのプールに、今年元日未明、子供たちの声が響いた。東海SC恒例の泳ぎ初め。松田選手の姿もあった。久世さんは全員をプールサイドに集め、黒板にチョークで大書した。「2012年 己(おのれ)に克(か)つ 勝っておごらず 負けてくさらず」。翌年元日に新たな目標が書き込まれるまで消されない。松田選手は「五輪イヤー」の初日に5キロ泳いだ。

 いつか地元へ戻り、スイミングスクールを作って子供たちに泳ぎを教えたい。そんな夢を松田選手は抱く。ただし、もう少し泳ぎ続けるつもりだ。久世さんは、そんな愛弟子が2大会連続でメダルを胸にしたのを見て「いろんな人の手を借りないとここまでやれなかった」と感無量の様子で語った。

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