「価値観の違い」

「価値観の違い」

乗客は皆、静かに座っていた。

ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。

すべては落ち着いて平和な雰囲気であった。

そこに、一人の男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。

すぐに子供たちがうるさく騒ぎ出し、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。

しかし、その男性は私の隣に座って、目を閉じたまま、周りの状況に全く気がつかない様子だった。

子供たちはといえば、大声を出したり、モノを投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも騒々しく気に障るものだった。

ところが、隣に座っている男性はそれに対して何もしようとはしなかった。

私は、いらだちを覚えずにはいられなかった。

子供たちにそういう行動をさせておきながら注意もせず、何の責任も取ろうとはしない彼の態度が信じられなかった。

周りの人たちもイライラしているように見えた。

私は耐えられなくなり、彼に向って非常に控えめに「あなたのお子さんたちがみなさんの迷惑になっているようですよ。

もう少し大人しくさせることはできないのでしょうか」と言ってみた。

彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気が付いたかのような表情になり、柔らかい、物静かな声でこう返事をした。

「ああ、本当にそうですね。

どうにかしないと…。

たった今、病院から出てきたところなんです。

一時間ほど前に妻が…、あの子たちの母親が亡くなったんものですから、いったいどうすればいいのか…。

子供たちも混乱しているみたいで…」

その瞬間の私の気持ちが、想像できるだろうか。

私の価値観は一瞬にして転換してしまった。

突然、その状況を全く違う目で見ることができた。

違って見えたから違って考え、違って感じ、そして、違って行動した。

今までのイライラした気持ちは一瞬にして消え去った。

自分の取っていた行動や態度を無理に抑える必要はなくなった。

「何か私にできることはないでしょうか」

一瞬にして、すべてが変わった。

引用元: (7つの習慣 スティーブン・R. コヴィー)

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 私が小学生のころ、
 
あるサッカーチームに属していました。
 
 当時の少年サッカーの”憧れの聖地”全国大会に出場できました。
(当時は全国で3780チームありました。全国大会に出場できるのは各県1チームだけでした)
 
東京へ試合に行く、新幹線の中でみんで騒いでいたので、
 
コーチが我々に厳しく注意しました。
 
 『君たちは全国大会で浮かれているかもしれませんが、この新幹線のお客さんの中には、親族が亡くなりお骨をもってともらいいに行く人もいるんだぞ!』
 
浮かれていた我々は、すぐに反省しました。
 
 もう、30年以上も前の話ですが、そのコーチの言葉をあらためて思い出しました。
 
おしゃってくれたコーチに感謝ですm(._.)m
 
                         ーつづくー

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