中村 仁洋(なかむらきみひろ)

生年月日
1967年(昭和42年) 7月 10日 【石川金沢市生まれ(29才より能美市在住)】
最終学歴
1990年(平成2年)日本大学 短期大学部 商経科卒業
資  格
和道流空手技術指導員(和道流空手5段、全空連4段)、土木施工管理技士 2級(国家資格)
趣  味
読書、旅行・パズドラ
職  業
インテリアデザイナー、空手教室講師、ブロガー、

【略歴】
星稜高校体操部のキャプテンを務める。高行時代に星稜高校で教鞭をとっていた元文部大臣「馳ひろし」先生に古文漢文を習う。高校時代、新聞配達で学費を稼ぐ傍ら、株に興味を持ち、高校生時代に証券会社に通いつめる。結果、高行時代に株で100万円利益を出し、自ら進学する大学の入学金を貯めてしまう。

また、高校時代には。ラジオ番組谷村新司の青春キャンパススタッフとしてラジオのレポーターやDJとして活躍する。日本大学三島校舎にて空手部に入部。23歳、全国から総勢128名の強豪が参加する和道流空手道全国大会でベスト8に入賞する。この大会には、全ての流派が一同に揃って日本一を決める国民体育大会での覇者や過去の優勝者が多く参加する非常にレベルの高い大会だった。

翌年は、同じ和道流空手道の全国大会での団体戦準決勝において、当時の空手世界チャンピオンであり、全日本選手権の覇者、またアジア大会3冠という空手界を一世風靡した椎名志津男選手と引き分けるという大金星をあげる。この試合から十年後、互いにその実力を認め、すぐに仲良くなるもこのことが中村仁洋の将来を大きく左右することとなる。

1991年大学の師範古荒川通(あらかわとおる)先生(全空連9段)の紹介で,石川公文先生(全日本空手道連盟7段、元県連理事長)と知り合い、石川公文先生に高島甫(たかしまはじむ)先生(全空連9段)をご紹介いただく。この時生涯の師匠を得る。1995年祖父の時代から営んでいる建設会社社長に就任。山野ゆきよし金沢市長と金沢青年会議所で同期として出会い初代の後援会の事務局長を拝命する。
馳ひろし代議士の選挙対策後援会初代青年局長を拝命し、「馳ひろしを総理にする会」を立ち上る。『勝つためだけでなく、子供たちに日本の武道の良さを伝えるために教室を開きたい』と1994年に現チビッコ空手教室(IT道場)を設立する。

同年、その活動を動画にし、ブログで配信すると人気が急上昇し、まだユーチューブや動画が日本ではメジャーではない時代にしては斬新な記事となり、その功績が認められ、「ヤフーブログ賞」(動画部門)を受賞し、その時受賞の副賞として、日本で唯一になるヤフーブログのロゴの使用を許可される。

その後石川県空手道連盟ジュニア監督として10年子供たちの育成に尽力する。また自身の道場生には陸上競歩20KM世界新記録保持者鈴木雄介選手他、毎年のように和道流日本チビッコチャンピオンを排出している。
リーマンショックの煽りを受け会社は倒産。また自身も5年生存立0パーセントという末期ガンの告知をうける。国立金沢大学附属病院の医師でその分野では世界的賢威に手術をしてもらい一命を取り留める。

その後免疫学を針灸・柔道福祉柔道整復師であり旧友の深い第18回空手世界大会の覇者である椎名志津男先生に免疫学の基本から学ぶ。その後、自分で人体実験をして免疫力に磨きをかけ、世界で初めてこの種の難病と言われている末期癌から完治する。

一年に一度の癌の定期検診には、世界中のドクターのべ100名以上が、その検診を見学にくる(出版社から依頼があり現在癌を完治した経験をもとに執筆中!)。
現在2019年世界一周の修行の旅をやり世界一周で短期語学留学での滞在先ニューヨークでY&Yという日本人宿を経営するYOKO氏に免疫力を世界に広げることを絶賛されその事業に取り組み現在に至る。

【1990年 4月~1994年 3月】

1990年 ハンバーガー業界で勤務する(バーガーシティー三島店店長、マクドナルド金沢片町店スイングマネージャーに半年で大抜擢される。マクドナルドの約1万のマニュアルを覚える)
1994年 高島甫(たかしまはじむ)先生【全日本空手道連盟(9段)】に弟子入りする。
1994年 辰口空手教室を開設(石川県にジュニア監督時代も含めると現在までのべ1000名以上を指導する)
和道流空手全国大会個人戦組手部門ベスト8入賞
1995年 10月、第50回福島国民体育大会出場

【1995年4月~2007年 4月】
1995年建設会社社長に就任

山野ゆきよし金沢市長後援会発起人(のち初代事務局長に就任)
(山野ゆきよし:金沢市長。地盤看板・・と言われている当時の古い政治体制の中、サラリーマンから自分で輪転機を購入しチラシを自主制作。そのチラシをお一人お一人に手渡しながら自らの政治理念をうったえる。そのようにまさに裸一貫から市議会議員に当選する。その後の選挙で現職を僅差で破り金沢市長に初当選。政府のコロナインフルエンザ処置問題において全国においても有名になる。)

馳ひろし衆議院議員(元文部科学大臣)馳ひろしを総理にする会発足(現会長)
(馳ひろし:衆議院議員。1984年ロス五輪に出場(レスリング)、翌年1985年、長州力率いるジャパンプロレスの門を叩きプロレスラーに転身。1995年7月異色の経歴をひっさげ第17回参議院議員通常選挙石川県選挙区より自民党の推薦を受け出馬、現職候補との激しい選挙戦の末初当選。後に自民党入党。文部科学大臣(第20代)を務めた。)

【2007年~現在】
2007年 年商5億円を売り上げるもリーマンショックで会社は倒産。
チビッコIT道場ブログを開設(石川県にジュニア監督時代も含めるとのべ1000名以上を指導する)ヤフーブログ賞受賞(動画部門)

2019年 世界一周を60日間で達成(ニューヨークの語学スクールに入学)
世界147カ国5000人の著名人とフェイスブックで繋がり友達の輪を広める。

2020年 新規事業を森山義経氏と共に立ち上げる。